歴史・文化財

ぬかびら温泉のはじまり

ぬかびら温泉は大雪山国立公園の中にある自然豊かな温泉・観光地です。2007年にぬかびら源泉郷旅館組合が「源泉かけ流し宣言」を発表し、その後2009年には「糠平」という字名を「ぬかびら源泉郷」に変更しました。

ぬかびら温泉は1919(大正8)年3月に湯元館の初代館主であった島隆美氏が発見したことにより始まります。島氏は前年の1918(大正7)年にも勢多の温泉を発見しています。勢多の温泉は浴用鉱泉として許可を得ていましたが、摂氏30℃の温度の低い鉱泉であったため、火熱を加えなくてはなりませんでした。そこで島氏は勢多の温泉に掘削を行ってより熱い湯を探索しようと考えていました。そんな中、島氏は勢多から24kmほど奥地「糠平」というところに、卵が茹で上がるくらいの温度で良質な湯があることを知人から聞き、現地調査に行くことになります。

1919(大正8)年3月、甥の荒長治郎氏と共に島氏は糠平行きを敢行します。このとき2度目の挑戦でした。一行はエゾマツやトドマツが生い茂る原始林の中に馬を進め、途中に立ちはだかる断崖絶壁の光景に驚愕したことが記されています。これより先は馬が進めず、馬を造材小屋に頼み、一同はかんじきを履き歩いて奥地へと進んで行くことになります。この日は糠平までたどり着けず、雪の中にも関わらず密林の中で野宿しています。倒木などの燃料を十分確保し暖をとり、極寒中にもかかわらず疲労のため朝まで寝入ってしまった様です。翌朝、出発し歩くとすぐに立木が少なくヨシなどが生えている小沢に到着しました。そこは湯煙が立ちまさに温泉という雰囲気です。しかし、島氏は聞いていた話と位置や湯の量が違ったため疑問に思い、また時間もあったので更に探索を続けることにしました。するとこれより約270m西に湯元を発見することができました。これが後に滝の湯(湯の元)温泉(現在の湯元館)と称されることになります。その後、温泉までの道路を開削することになりますが、約2.6kmにわたる道路完成まで人員も多大でした。また開業に至るまで様々な許可手続きがあり、大変な苦労があったと記録に残されています。そして1925(大正14)年に湯元館が開業し、ここにぬかびら温泉の歴史が始まりました。

旧国鉄士幌線とアーチ橋
【所在地:上士幌町清水谷〜三股】

旧国鉄士幌線は十勝北部の農作物や森林資源の開発に貢献した鉄道で、1937(昭和12)年9月に上士幌〜糠平間が、1939(昭和14)年11月に糠平〜十勝三股間が開業しました。しかし、森林資源の枯渇と車社会の到来によって、1978(昭和53)年に廃線となり(糠平〜十勝三股間がバス代行)、その後、1987(昭和62)年には帯広〜糠平間も廃止になりました。

士幌線は1,000m進むと25m登という急勾配と半径200mのカーブが続き、終着十勝三股駅は標高661.8mと北海道の鉄道の中で最も標高の高い位置にあるなど本格的な山岳鉄道でした。特に、音更川の渓谷に沿って作られたため、多くの橋を造る必要がありました。そこで、工事費をおさえるために、現地でとれる砂利を使って造ることができるアーチ橋をかけることになりました。また、大雪山国立公園の渓谷美に似合った橋の形にしたいということからも、アーチ橋とすることになりました。現存する42のアーチ橋うち、いくつかは観光用に整備され見ることができます。アーチ橋は「旧国鉄士幌線コンクリートアーチ橋梁群」として北海道遺産に指定されています。そのうち勇川橋梁・第三音更川橋梁・第五音更川橋梁・十三の沢橋梁・第六音更川橋梁の5つの橋梁と音更トンネルは国の登録有形文化財に指定されています。

然別オショロコマ生息地
【所在地:上士幌町上音更、鹿追町北瓜幕】

オショロコマ(カラフトイワナ)はサケ科イワナ属の在来種で、北太平洋沿岸域に広く分布します。国内では北海道の河川に分布し、特に大雪山系や日高山系に多く、知床半島にも分布します。オショロコマは環境省レッドリストによると絶滅危惧Ⅱ類(VU)に指定されています。

然別湖とそこに流入する河川に生息するオショロコマは、湖で特異に進化した亜種、ミヤベイワナと呼ばれます。見た目はほぼ同じですが、ミヤベイワナはエサをこし取るための器官である鰓耙(さいは)がオショロコマよりも細長く、その数も26と多いのが特徴です(オショロコマは21〜22)。

ミヤベイワナは湖を海に見立て、ヤンベツ川等の然別湖に流入する河川を遡上して産卵します。湖の北側と流入河川が生息地として北海道指定文化財になっています。

丸山噴泉塔群
【所在地:上士幌町幌加】

上士幌町と新得町にまたがる丸山(標高1691m)の南東約1.3kmの中腹(標高1140m)に丸山噴泉塔群があります。丸山噴泉塔群は1980年8月8日に淵瀬一雄・印銀信孝両氏によって発見され、上士幌町指定文化財に指定されています。丸山噴泉塔群は、白色沼・噴泉塔・石灰華台地の3つで構成されています。

白色沼は丸山の中腹に出来た火口の跡で、長さ70mほどの楕円形で深さは3.5mもあります。湖底から湧出する水温13〜15℃ほど鉱泉には、炭酸ガスや炭酸カルシウム、硫化物、鉄分などを含んでいます。

噴泉塔は炭酸カルシウムで出来ており、火口の底から湧出する温泉水が沈殿し搭状に成長したもので、大小約20個の塔が確認されています。最も成長した塔は高さ276cm(2010年)まで成長しています。

石灰華台地は白色沼の鉱水が流下し炭酸カルシウムなどが沈殿したもので長さ約100mほど見られます。石灰華の表面には微小な棚田上の地形が形成されており、鍾乳洞に見られる千枚皿を彷彿させます。

三股永久凍土
【所在地:上士幌町三股】

2年以上0℃より低い温度を保って凍っている土壌・地層・岩石のことを永久凍土と言います。永久凍土はシベリアやアラスカなどで見られますが、日本でも富士山・北アルプス・大雪山の高山帯と、東大雪や北見地域でこの永久凍土を見ることができます。国内の他の地域では標高2,000以上で永久凍土が見られるのに対し、東大雪地域では標高800〜1,000mほどに存在するのが特徴です。

三股永久凍土は14の沢(標高850〜900m)に1か所、13の沢(標高770〜850m)に2か所あります。14の沢の永久凍土は1972年の林道工事によってその存在が明らかになりました。調査の結果、凍土の中に埋もれていた針葉樹の樹幹は約4,500年前のものであることがわかっています。したがって凍土は最終氷期のものでは無く、縄文時代以降の寒冷期に凍ったものと推定されています。三股永久凍土は上士幌町指定文化財に指定されています。

永久凍土地域はアカエゾマツや高山植物、林床にはミズゴケ類などが生育しています。

音更山道碑
【所在地:上士幌町黒石平】

造材事業のために多くの囚人が行った難工事を記念して建てられた碑で、上士幌町指定文化財です。

プレート解説文

国道糠平街道は明治25年釧路監獄の囚人の斧によって誕生する。囚人はユウンナイ(糠平湖底)の大樹海を伐採し十勝開拓の建設資材にあてたのである。 当時の道といえば奇岩と断崖続く激流の縁に刈り分け道しかなく、囚人たちは背に食糧と作業具をかついで前進し冬は寒さをついて伐木にあたり、夏は音更川の水運を利用して越中渡場(音更町木野市街)まで流送するのであった。 大正7年十勝監獄はユウンナイまでの約16キロの道路開削工事にあたるのである。糠平街道は当時「音更山道」と呼ばれ、述べ6,000人の囚人を酷使し3ヶ月の月日を費やして完成したのである。 完成記念碑の碑文は看守長が書き、誰が彫ったのか、なかなかの達筆である。かれらが去ってから糠平温泉は発展した。糠平ダムの出現によって音更山道の一部は水没、また碑の足もとを流れる音更川も当時とは比較にならぬ”小川”となり見る影かげもない。だが、かれらも見上げたであろう見事な屏風岩だけは風雪にさらされながらそびえ立っている。 帯剣と銃の警備のもとに、黙々と汗を流したかれらの音更山道はいま脈々といきている。

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